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“やっても無駄だし…”“みんなと違ってダメだし…”“自分には価値がない…” etc.【間違ったネガティブなイメージ】が出来てしまうのは なぜ?

幼い子どもの思考には、二元性(物事が異なる二つの原理で成り立つ)がみられ、例えば『生きるか死ぬか』『好きか嫌いか』などのように、極端に二分する特徴があります。

会員歴が長い皆さん耳タコ状態だったらごめんなさい。


これは、人が生まれながらに純度100%なピュアな心を持っていることに起因していると考えられます。←いかがでしょうか?なんだか性善説を押し付けられているようで嫌な方もいらっしゃるのでないでしょうか?

事実、私もこれだけを聞いたら怪しいと思います💦


理論だけではなく、現実的な問題として、自他の変容心理プロセスに約20年携わってきた経験からお伝えするならば、大人も子どもも全ての方のネガティブなイメージの背景には純度100%なピュアな心がありました。

生まれたばかりの赤ちゃんが純度100%なピュアな心であるように… 本人が自覚しようとしまいと、例外なく、人の本質は純度100% “愛”と言えます。

実は私も若い頃、自分を含め,人は本質的に綺麗ではないと思っていました。


次に、これを基に、人の健康的な状態をイメージ図にしてみました。

人生の中で上手くいっている分野のイメージです。誰もが当てはまる部分があるはずですが、本人にとっては、当たり前すぎて気づかないケースも多いように感じます。


幼い子どもの思考は、100%完全に満たされる世界を想定していますので、現実的に真実がどうであれ、他者の行動や言動を、愛ではないと感じた時(内容は様々です)、二元性に基づき極端な対局に振れ痛みを持ちます。


痛みを持った部分のイメージ図です。

何を痛みと感じるかは、起きた事象の大小は全く関係なく、個人の感性が作用します。ほんの些細な事から大事まで100人いたら100通りであり多くの場合、個々の※人生のテーマと直結しています。


更にこの状態の意識の外側では、痛みに触れないよう無意識に防衛を行なっています。痛みの深さ広がり具合も関与します。

次回からは、実際の見え方→防衛と防衛反応(過剰反応)→痛みの解放(※人生のテーマ含む)の順に進んでいきます。


注)現実を生きるにあたり、愛はすべて(良いも悪いも含め)を統合する(受け入れる)原動力となりますが、幼い子どの意識での愛とは、完成した愛=いつも100%満たされる・受け入れられるという完全なものという認識です。個々の人生のテーマに沿って現実を生きるうえで必要なギャップが痛みとなります。時間をかけて向き合うとその痛みからは個人特有の人生の地図が見えてきます。※詳しくは痛みの解放でご説明します




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