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スタッフより

​子どもの心と親の心

– 純粋な関係を求めて –

文字が書けることや勉強が出来るようになることが目的ではありませんでした。子どもの心の場所を探しながら、ただ一緒にいたいと思うこと。長い年月を要しましたが、そこには親子の安心感と子どもの本当の姿がありました。

かきのき教育支援室コンブリオ
かきのき教育支援室コンブリオ
子どもの心と親の心 かきのき教育支援室コンブリオ

写真の左から生まれて初めて書いた3歳の頃の絵、中央・右は6歳初め頃の卒園作品です。

誤解だらけの幼少期
いわゆる"手のかかる子" でした。
コミュニケーションが上手くとることができず、子どもの心が漠然としてわかりませんでした。心が通わない領域があることを不安に感じ毎日が過ぎました。また病弱であることも心配のひとつでした。極端に絵や文字を書くことを嫌う傾向もみられました。私自身に何か問題があるからではないかと悩んでいました。
 

3歳児検診で言語の遅れの指摘があり、5歳には言語発達遅滞という診断をうけました。何がなんだかよくわからないまま、週1回の言語トレーニングを1年間行い、トレーニング終了時の検査で学習障害(高知能)と診断がありました。この時点においては通級指導も必要ないとの判断のもと、公立小学校の普通級に入学しました。
医師からは
「この子は人の心がわからない子です。幸い知能が非常に優れているので得意なことを伸ばしてあげてください…。何かできれば、人はついてきますよ。」
と指示を受けました。(私達親子をなんとか救いたいとの言葉だったと思います。今から10年以上前(1997年当時)のことなので、今でしたら、『発達障害ですので”共感性にかける”特性があります』と言ったところでしょうか...)
 

この言葉が大きく私の心を揺さぶりました。「そんなはずがない」これが私の心の叫びでした。決して発達障害であることが受け入れられないわけではありません(確かに衝撃的ではありますが)。ただひとつだけ「人の心がわからない」は疑問がありました。
“この子の心はどこにあるのか”
これはいつしか私の日常となっていきました。
 

この頃は、有効といわれる療法を試してみたものの長続きはせず、特に型で教えるものについては、今も本人が「本当にいやだった」というほどに、心を傷めさせてしまいました。(誤解の無いように補足させていただくと、型から始まる教育を否定しているわけではなく、この場合において上手くいかなかったとういう意味です。)

親子関係の修復
「子どもだましの通用しない子」 簡単に言うと親の嘘が通用しないのです。嘘といっても全く悪意の無いよくある日常のことです。例えば「良くできたね」が、心から純粋にでた言葉ならOKなのですが「勉強を頑張らせるため」など何か別の意図を持って褒めたところで子どもの心に届かないことに気がつきました。本質がすべてでした。子どもは、親のような世間体を考えた良いとか悪いという価値感などに従う心ではなく、本当の親の心をまっすぐ受け止めていました。大人の予想を遥かに超える感受性と繊細で純粋な心を持ち合わせていたのです。しかし、気づいた時には生まれて5年以上の歳月が過ぎていました。子どもの心は親にさえ受け止めてもらえなかったため荒れていました。親子関係の修復の日々が続きました。忍耐を必要とし、医師の指示に従い「人の心がわからない子」にしておけば良かったと思うような、自分の限界を感じる出来事もいくつかありました。

(小学4年生時の遠足の感想文です)


子どもの立場からみると、親は安心できる対象ではありません。自分を守ることで精一杯です。そう簡単に信じるわけにはいきません。
 

親の立場はいつも複雑です。社会の枠が心の窓を曇らせます。“こんな時、こんな場所で、この反応!?”と頭を悩ませることも多くありました。そんな時は、その表面的な行動ではなく、子どもの心の場所はどこにあるのかと思いを巡らし、そこで向き合います。
 

そんな生活が5年から6年間続きました。幼少時の大きな心の傷を本人が自覚し、本人の口からその出来事について聞く場面があるなど、衝撃的な出来事もありました。様々な変化の中、時の経過に伴い次第に状況は好転していきました。親子が互い安心できるようになってくると共に、情緒面も安定し、体も健康になりました。そして、更には、子ども自身も苦手なことに向き合うように変わっていきました。

 

しかしながら残念な事に、時すでに遅く、

漢字が書けないことで(文章の読み書きを含

む)、普通級の在籍がこの先難しいとの見解を

示されたのが5年生でした。この頃は、フリー

スクールやアメリカンスクールなど、本人の

ペースで知識を習得できる学校を地域を問わず

探しました。しかし、本人が行きたいと思える

場所はこの時点ではありませんでした。

 

そうこうしながらも時間は過ぎましたが、驚いたことに半年後には良い方向へ急変していきました。6年生の終わりには、漢字テストで8割程度は書けるようになっていました。もちろん最初は0点からのスタートです。
 

生きる力(考える力や判断する力など)を身につけてほしいとの願いから、子どものペースでゆっくりと少しずつですが、家庭で学習の補習は行ってきました。子ども特有の覚え方があり、このこつをつかむまでは大変でした。6年生の終わりまで、学校の成績とは直接繋がることはありませんでしたが、この積み上げが、心の変化と相まって好転へと繋がったと感じています。

本当の子どもの姿
ひとたび、子どもと心がつながると、子ども自身も、自分のもつ親に対する誤解も解け、急速に関係が変化する時期がありました。そこから見えてきた本当の子どもの姿は、人の心がわからないわけではなく、自分の感じていることに自信が持てず、どう対応して良いのか解らずにいるというものでした。豊かな感受性を持ち合わせ、相手の思いを純粋に感じとる姿がそこにあります。

 

その後無事公立中学校を卒業し、現在都内私立高校3年生になりました。長期にわたり、運動や文字が苦手なことに対する周囲の反応や、本人の情緒的問題などを乗り越え、より深い自分探しのまっただなかです。自分の力を信じて、自分自身のあるがままを表現していってほしいと願っております。

 

※このページの画像は、少しでも多くの子ども達が、自分を信じて一歩一歩自分のペースで進んでほしいという願いをこめて、本人同意のもと使用しました。

かくして大人は子どもの表面的な反応に惑わされがちですが、本質的な理解のもとあたたかな環境が子ども達の周りにあふれることを願ってやみません。
親子関係について考える何かのきっかけになることができましたら幸いに存じます。

2009年6月 吉田 幸恵

 

 

 

 

その後 大学へ進学しました。本人いわく学生生活を楽しんでいるとのことです/2011年追記
大学を無事卒業し、社会人も長くなりました。夢に向けて活動中です/2017年追記

​※ブログ成人祝いはこちらです/2011,11記



 

遠足感想文.JPG
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